8月4日、シネマアートン下北沢にて『男嫌い』(東宝1964:木下亮)を見た後で、木下亮監督のお話を聞く。
八丈島ロケでは主演女優4人を連れて行ったにもかかわらず、ワンカットも人物がらみは撮らずに、風景だけ、それも斜めのショットやら観光案内とはほど遠いものばかり。
これで会社首脳部の怒りを買い、翌年『肉体の学校』を撮ったきりで、1966年にはフリーにならざるえなかった。
その最後のきっかけとなったのが『お嫁においで』(東宝1966)。藤本真澄プロデューサーは、松山善三脚本を一字一句も直すなという条件をつけた。しかし、木下亮監督はその条件もさることながら、内容が自分の撮るべきものではないと判断し、本社に断りに行った。
藤本真澄プロデューサーは、あらかじめ準備していたのだろう。断りの話を聞くと、その場で電話をし、本多猪四郎を呼びつけて『お嫁においで』の監督を依頼した。木下亮監督への面当て以外の何ものでもない。偉いのは、本多猪四郎監督。まだ2本しか撮っていない20才も年下の後輩監督が断った作品をふたつ返事で承諾したのだから。