シネマヴェーラ渋谷にて『愛の陽炎』(松竹1986:三村晴彦)を観る。
1960年代後半、加藤泰や野村芳太郎などの作品で共同脚本としての三村晴彦を発見し、しかもそれが松竹の助監督と知った時の喜び。これはすごい新人監督がデビューするぞ!と期待に胸を膨らませていた1970年代。「早く出てこい三村晴彦!」と念じ続けること10年。まだ出てこない。
やっと『天城越え』(1983)でデビューした時は40の大台をとっくに超えていた。新人ばなれした堂々たる力作という、評価は得た。しかし、彼の撮りたかったものとは、松本清張原作の映画化だったのだろうか。もっと新人らしいエネルギッシュなものを撮りたかったのではなかろうか。
2作目も松本清張原作『彩り河』(1984)。これは師匠である加藤泰が強硬に主張した名取裕子のキャラクターが作品を台無しにしてしまった無惨な失敗作。
そして3作目が『愛の陽炎』である。撮る前から惨憺たる結果がわかっているような内容。このような脚本で撮らざる得ない状況もわからないでもないが、その逆境を跳ね返してこそ本物の映画監督と言えるのではないだろうか。
残念なことに、この作品の伊藤麻衣子には、愛が感じられない。光り輝いていない。愛がなければこの映画は成立しないのだ。