ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

02月11日、池部良(2008)

 2月11日は、池部良(いけべ りょう)さんの誕生日です。1918年生まれの90歳になりました。おめでとうございます。鈍牛倶楽部所属。

 1918年、画家、漫画家として著名だった父・鈞と母・篁子の長男として、東京市大森区新井宿4丁目に生まれる。弟がひとり。
 入新井第二尋常小学校明治学院中学を経て、立教大学文学部英文科に進む。
 1940年、東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入る。
 1941年、大学卒業、と同時にシナリオ研究所も卒業。東宝映画文芸部に入社。
 島津保次郎監督に見出されて、『闘魚』(東宝1941:島津保次郎)の里見藍子の弟役でデビュー。
 ここらへんの話は、「そして夢にはじまった・木蓮の巻」(池部良・著、毎日新聞社・1994年刊)に詳しく書かれている。
 続いて、『希望の青春』(1942:山本嘉次郎)、『緑の大地』(1942:島津保次郎)に出演した。
 1942年2月1日、応召、東部17部隊(近衛輜重聯隊)に入隊、中国山東省に派遣される。甲種幹部候補生として保定士官学校に入り少尉に任官、1944年南方戦線へ。途中、輸送船が撃沈され、九死に一生を得てハルマヘラ島に上陸、第32師団所属の衛生中隊の中隊長として敗戦まで同島に駐留。1946年6月まで抑留されて帰国した。
 1946年10月、東宝に復帰。帰国してからの話は、「そして夢にはじまった」の第2部以降に詳しく書かれている。
 『四つの恋の物語・第一話「初恋」』(1947:豊田四郎)、『戦争と平和』(1947:山本薩夫亀井文夫)、『愛よ星と共に』(1947:阿部豊)、『春の饗宴』(1947:山本嘉次郎)と、次々と出演する。
 『青い山脈・前後篇』(1949:今井正)でトップスターとなり、『現代人』(松竹大船1952:渋谷実)で演技を認められ、『乾いた花』(松竹大船1964:篠田正浩)のヤクザでは新境地を開く。これに目をつけた俊藤浩滋プロデューサーに請われて、『昭和残侠伝』(東映東京1965:佐伯清)に出演。以後シリーズとして9本作られ、高倉健の花田秀次郎と池部良の風間重吉の斬り込み道行きコンビは、東映任侠映画の金字塔を作り上げた。
 美子夫人とは、1960年5月22日に結婚。
 エッセイを多数執筆。1991年には、「そよ風ときにはつむじ風」で日本文芸大賞特別賞を受賞。映画俳優協会の初代理事長をつとめた。
 この頃は、執筆と講演活動で超多忙。

 『闘魚』(東宝東京1941.07.15公開、監督:島津保次郎
 島津保次郎東宝に移籍しての7作目。原作は丹羽文雄、脚色は島津が育てた山形雄策。主役の多巻笙子に里見藍子、弟・清が池部良、笙子の婚約者・小城俊紀に灰田勝彦のキャスト。
 池部良は、姉に反発しながらも甘える不良少年で、坊主頭が何とも可愛らしく、そのしゃべり方も甘ったるくも初々しかった。
2000.02.22(火)記す

 現在84歳の池部良さんは「夏の日の恋~Summer Time」(6回連続、NHK)に出演中。亡き息子の嫁・岩下志麻と同居中の義父を演じています。娘が松坂慶子で、岩下の息子つまり孫が緒形直人という家族構成。
 まだまだセリフもはっきりしていて、映画出演もいけるのではないだろうか。
2002.07.16(火)記す

 と、以前に書いたものをそのまま載せました。
 昨年(2007年)のラピュタ阿佐ヶ谷松林宗恵監督特集」のトークショーでもお元気な姿を見せてくれたようです。