ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

04月03日、有馬稲子(2009)

 4月3日は、有馬稲子(ありま いねこ)さんの誕生日です。1932年生まれの77歳になりました。おめでとうございます。本名:中西盛子(なかにし みつこ)

 1932年、大阪府豊能郡池田町(現・池田市)生まれ。
 実父がコミュニストで、官憲に追われ転々と逃げ廻っていたため、4歳で父の実姉・中西かね夫婦の養女となり、朝鮮の釜山に住む。
 1939年、釜山第一小学校へ入学。
 小学3年生の時、養父が死去。
 1945年4月、釜山高等女学校へ入学。
 1945年10月、養母とともに引き揚げ、大阪市天王寺区の実父母の家で間借り生活を始める。府立夕陽ケ丘高等女学校へ転入。
 1948年3月、新制に切り替わった夕陽ケ丘高等女学校併設中学校を卒業。
 宝塚音楽学校を受験し、943人の受験者のうち合格者69人という創立以来の難関を突破する。
 1949年4月、予科1年を終了して本科に進むと同時に、宝塚歌劇団に加わり花組編入される。養母がかつて宝塚少女歌劇養成会に所属していた関係で養母の芸名・有馬稲子を襲名する。
 様々な舞台を踏み、可憐な娘役として人気が出る。
 1951年、『宝塚夫人』(綜芸プロ=東宝1951:小田基義)で映画デビュー。
 1952年11月30日、宝塚退団。
 1953年1月、東宝専属となる。
 1954年4月、岸惠子久我美子とともに若槻繁を代表取締役とした(株)文芸プロダクション・にんじんくらぶを結成する。
 1955年3月、東宝退社。
 1955年4月、松竹と優先本数契約を結ぶ。
 『泉』(松竹大船1955:小林正樹)、『朱と緑』(松竹大船1956:中村登)、『抱かれた花嫁』(松竹大船1957:番匠義彰)、『夜の鼓』(現代ぷろ=松竹1958:今井正)などに出演する。
 『浪花の恋の物語』(東映京都1959:内田吐夢)、『わが愛』(松竹京都1960:五所平之助)の2作品で地方新聞記者会のホワイト・ブロンズ賞とミリオン・パール賞の主演女優賞を受賞する。
 1961年11月27日、中村錦之助と結婚。
 1965年7月23日、協議離婚を発表。
 1965年11月、にんじんくらぶも脱退。
 その後、舞台活動とテレビドラマに専念。
 1968年1月、民芸入団。
 1969年6月8日、三共開発株式会社社長・河村三郎と結婚。
 1969年10月、民芸退団。
 1983年、離婚。
 1980年「はなれ瞽女おりん」で紀伊國屋演劇賞を受賞。以降、現在も再演を続け、彼女の代表作となる。
 『告白的女優論』(現代映画社=ATG1971:吉田喜重)が、今のところ最後の映画作品である。

 『結婚期』(クレインズ・クラブ製作、東宝配給1954.11.16公開、監督:井上梅次)
 31歳の独身で都市の緑地化に燃えている北山悠一(鶴田浩二)は、上司の代役でTV出演する。担当の女子アナウンサーは毎朝バスで会う意中の人・青木礼伊子(有馬稲子)であった。たちまち恋愛関係に発展する。さらに勝気な芸者(岡田茉莉子)やら、お見合い相手(杉葉子)やらと、彼の回りには女性が賑やかになる。
 有馬稲子が理知的な現代女性として、ウェストを締め付けたフレアスカートファッション(落下傘スタイル)も魅力的。
 岡田茉莉子は古風な芸者スタイルながらも、勝気でおきゃんな女性を演じて対照的。東宝、そして松竹時代は二人はライバル関係にあったが、本格的な共演は、『愛人』(東宝1953:市川崑)とこの『結婚期』ぐらいしかない。
2000.06.01(木)

 きのう4月3日は、有馬稲子(ありま いねこ)さんの誕生日でした。70歳になりました。
 有馬稲子さんの最近作では『いのちの海』(2001:福原進)です。特別出演として高瀬女医に扮していました。
 有馬さんが映画出演したのはこの30年間で1~2本しかないのではと思います。
2002.04.04(木)

 有馬稲子さんの最近作は、『夢のまにまに』(2008:木村威夫)です。主人公・長門博之の妻に扮していました。