ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

追悼・淡島千景さん


 きょう2月24日は、淡島千景(あわしま ちかげ)さんの誕生日で、88歳になるはずでした。残念ながら、2012年2月16日、膵臓がんのため、お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。本名:中川慶子。
 1924年東京府荏原郡矢口村大字蓮沼村(後の大田区蓮沼町)生まれ。
 日本橋に家を持ち羅紗地の輸入業を営んでいた父・卯之助と母・よしの三男三女の三女。
 3歳から日本舞踊を習う。
 1930年、池上尋常小学校入学。卒業の少し前、一家が武蔵野町吉祥寺へ転居したため、武蔵野第一小学校へ転校。
 1936年、成蹊高等女学校へ進む。
 1939年4月、宝塚音楽歌劇学校(同年12月、宝塚音楽舞踊学校と改称)の試験を受け、681人の受験生から62人の合格者に入る。同期に、久慈あさみ、南悠子らがいる。
 予科、本科各1年を終えて、1941年4月、宝塚歌劇団の一員となり月組編入される。コーラス・ガールで初舞台後、花組に移り、10月には「母なれば」で、おきくの役がついて娘役として売り出す。
 敗戦後、月組に戻り、男役の久慈あさみとのコンビで数々の舞台に立ち、雪組春日野八千代乙羽信子の名コンビと人気を二分する。
 1950年3月、宝塚歌劇団へ辞表を提出。引き留める歌劇団側を振り切って退団(4月3日)。4月8日には松竹と出演契約。5月3日からの愛媛県宇和島市でのロケから撮影開始した『てんやわんや』(渋谷実)で映画デビュー。
 159cm、48kgの肢体、スピーディで快活な動き、小気味よい台詞回し、男っぽい勝ち気な性格、などが評判となり、たちまちトップ女優となる。
 第1回(1950年度)ブルーリボン賞演技賞受賞  『てんやわんや』他
 第6回(1955年度)ブルーリボン賞女優主演賞受賞『夫婦善哉』(豊田四郎)
 1956年7月、フリーとなる。
 第13回(1958年度)毎日映画コンクール女優主演賞受賞
                 『螢火』(五所平之助)、『鰯曇』(成瀬巳喜男)
 1959年からは舞台にも進出、1970年代以降は舞台中心となる。
 1997年、『GOING WEST 西へ…』(向井寛)では、『ママおうちが燃えてるの』(松竹大船1961:川頭義郎)以来の単独主演をして、山村聰森繁久彌と共演する。1999年、『故郷(ふるさと)』(向井寛)でも、また主演して元気一杯である。

 『夫婦善哉』(東宝1955.09.13公開、監督:豊田四郎
 織田作之助の原作で、生活能力のない問屋の跡取り息子(森繁久彌)とその無能力さを知りながらも断ち難いきずなで結ばれる“ヤトナ芸者”(淡島千景)との愛情物語。
 ラストでの、「たよりにしてまっせ、おばはん」「へえ、おおきに…」との掛け合いが印象的。
 森繁久彌淡島千景のコンビは『駅前』シリーズへと引き継がれていく。

 淡島千景さんの最近作は、
『GOING WEST 西へ…』(1997:向井寛)、
『故郷(ふるさと)』(1999:向井寛)、
シベリア超特急2』(2001:MIKE MIZNO)
『Last Dance -離婚式-』(2001:向井寛)、
シベリア超特急5』(2005:MIKE MIZNO)、
ドキュメンタリー『成瀬巳喜男 記憶の現場』(2005:石田朝也)、
大停電の夜に』(2005:源孝志)、
春との旅』(2010:小林政広)、
です。
 『GOING WEST 西へ…』では佐久間リュウに扮して『ママおうちが燃えてるの』(松竹大船1961:川頭義郎)以来の単独主演、
成瀬巳喜男 記憶の現場』ではインタビューに答える形で出演し、
大停電の夜に』では国東小夜子に扮して宇津井健と夫婦を演じ、
春との旅』では中井忠男(仲代達矢)の姉・市山茂子に扮していました。
 淡島千景さんは、戦後デビューした女優のなかでは、ナンバーワンだと確信しています。

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