ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

池広一夫監督トークショー

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 きょう8月31日は、角川シネマ有楽町にて「池広一夫トークショー」に参加しました。
 8月23日から開催されている「市川雷蔵祭」の本日、『ひとり狼』(大映京都1968:池広一夫)上映後に行われたものです。

 上映は10時30分からの予定でしたが、当日券を買い求める10分遅れて上映。長蛇の列。最前列の関係者席も、上映中だけ一般に売り出し、それでも入れないお客さんがいたようです。10分遅れて上映開始。満員にもかかわらず、熱心な雷蔵ファンが多く、まるっきり物音もせず、スクリーンに魅入っていました。
 上映後すぐトークショー。司会は映画ジャーナリスト・金原由佳さん。ちなみに金原さんは、1990年の京都での市川雷蔵作品上映会で、初めて市川雷蔵を知ったとのこと。きょうの観客も私より高齢の方もいたけど、そのほとんどが市川雷蔵没後にその作品に接した人ばかりのようでした。

 池広一夫監督は1929年10月25日の東京生まれ。父親・池広利夫は大映の制作部長だったことから、映画が好きになり、小学生時代は子役として映画出演。でも父親は映画界に入ることには反対。立教大学経済学部在学中の1950年10月に大映京都撮影所に入社。同期は、土井茂黒田義之、井上昭。1951年に立教大学を卒業。

 助監督時代の『炎上』(1958:市川崑)で仲良くなり、池広監督が書いたシナリオを見てもらったりした。
1960.12.07『薔薇大名』(68分、小林勝彦主演)にて監督デビュー。
1961,03.15『天下あやつり組』(80分、川崎敬三主演)が永田雅一社長を風刺した、ということで社長激怒。
 東京本社にて重役たちが居並ぶ中で、永田社長が顔を真っ赤にして「長いプロデューサー人生でこんなひどい作品は初めてだ」と池広監督に罵声を浴びせて、ラストシーンの撮り直しを命じた。
 池広監督はこれで、「これで終わった」と失意のどん底。映画界を去ろうとしていたら、市川雷蔵が救いの手を差し伸べてくれた。『沓掛時次郎』の監督が他の人に決定していたのをぜひとも池広監督に撮ってもらいたいと、会社側を説得して、クランクイン。完成して公開すると大ヒット。評判も良く、それが今日の監督人生につながったとのこと。

 今まで、トークショーの誘いをすべて断ってきたのに、今回このような席に出てきたのは、没後50年ということと、自分自身も89歳という高齢でもあり、これが最後かもしれないということで、少しでも雷ちゃんのことをお話できれば、という思いで出させていただきました。家を出るとき家内に、10人ぐらいのお客さんの前でしゃべる会だから、と気楽な気持ちで来たら、こんな超満員の方々の前でお話できるとは、、、。

 雷蔵さんは、恩人でもあり、よき友でもあった、ということでした。

 

 池広一夫監督は日本映画監督の現役では最高年齢で、片岡鶴太郎主演の2時間ドラマ「終着駅シリーズ」を30年以上も撮っています。映画は『化粧』(1984)が最後。何とかもう一度、映画を監督してほしいものです。

 ありがとうございました。