ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

02月04日、黒沢年雄(2009)

 2月4日は、黒沢年雄(くろさわ としお)さんの誕生日です。1944年生まれの65歳になりました。おめでとうございます。神奈川県横浜市西区生まれ。1962年、日本大学浜学園高等学校卒業。
 ダンプカー運転手、キャバレーのドラマーなど、転々と職を変えた後、1964年第4回東宝ニュー・タレント募集に応募して合格。
 1964年、『ひばり・チエミ・いづみ/三人よれば』(杉江敏男)にて黒沢年男の名前でデビュー。
 1966年、『女の中にいる他人』(成瀬巳喜男)、『ひき逃げ』(成瀬巳喜男)の好演が認められ、『パンチ野郎』(岩内克己)で初主演。この年、日本映画新人賞を受賞。
 酒井和歌子とのコンビ作は、『これが青春だ!』(1966:松森健)を最初として、『昭和ひとけた社長対ふたけた社員・月月火水木金金』(1971:石田勝心)まで14本を数える。そのほとんどが恋人同士の役。
 東宝専属を離れてからは、東映仁義なき戦い・頂上作戦』(1974:深作欣二)などに出演するが、主な活躍の場はテレビへと移る。
 歌手として「やすらぎ」(1975)が80万枚、「時には娼婦のように』(1978)が100万枚の大ヒット。弟も一時、俳優をしていたが、その後はカラオケ店経営などの事業家に転身。
 1978年、ファッションモデル街田梨詠(本名・宮崎街子)と結婚。一女あり。
 『日本のいちばん長い日』(1967:岡本喜八)で見せた青年将校の直情的熱気を帯びた演技は、彼の持ち味でもあった。その当時、人気絶頂だった加山雄三に対抗させて、黒沢年男を硬派スターとして、東宝は売り出しに懸命だった。ある程度はスターにはなったが、もうひとつ大きく育たなかったのは、その演技があまりにも直情的すぎ、ゆとりがなかったからではなかろうか。佐藤允のようなユーモアがあれば、今でも貴重なバイブレーヤーとして映画で活躍できたのに。
 『街に泉があった』(東宝1968.10.12公開、監督:浅野正雄)
 二男で行動派の次郎(黒沢年男)と三男で慎重派の三郎(三田明)が、食堂で働く弓子(酒井和歌子)をめぐって、恋のライバルとなる。次郎の性格のまま、強引に弓子を恋人にしてしまう。弓子は浮気性の次郎とやさしい三郎の間に揺れながらも、最後は弓子と次郎のハッピーエンド。
 浅野正雄のデビュー作。いかにも新人らしい、みずみずしい感性にあふれたナイーブな作品。その後、『恋にめざめる頃』(1969)、『華麗なる闘い』(1969)しか作品がないのは残念。

 1992年に大腸ガンが発覚、治療。これ以降、髪型を変えたり、キャラクターを意識して改造してテレビのバラエティ番組などで天然ボケぶりを発揮している。
 2000年、黒沢年男から黒沢年雄に改名。
 現在は(株)プロダクションクロ代表取締役。弟のくろさわ博、妻の街田リーヌ、娘の黒沢レイラ(本名・裕美)もタレント。
 黒沢年雄さんの最近作は、『猫ラーメン大将』(2008:河崎実)です。