ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

追悼・北林谷栄さん

 4月27日、北林谷栄さんが肺炎のため、都内病院でお亡くなりになりました。98歳。ご冥福をお祈りいたします。

 北林谷栄(きたばやし たにえ)さんは、1911年5月21日、東京市京橋区竹川町(現・中央区銀座7丁目)生まれ。本名・安藤令子。生家は、祖父の代から尾張町(現・銀座6丁目)に店を構えていた洋酒問屋。父・勝次、母・花子の長女。母はお産の時に亡くなったため、その後は祖母の手で育てられる。生まれた時からおばあちゃんしかいなかったという体験が、後のおばあちゃん女優として大成するわけである。
 築地尋常小学校
山脇高等女学校卒業。この間、家業が傾き、木挽町(現・歌舞伎座前)の小さな洋酒問屋となる。父は再婚して異母妹が4人。
 教師をめざしていたが、1929年夏に肺結核にかかり、田園調布にある母方の叔父の家で療養生活に入る。文学全集や戯曲を読み漁るうちに芝居に興味を持ち始め、やがて新劇女優の道へ。
 1934年の創作座(清川玉枝、毛利菊枝が結成)をかわきりに、1936年に新協劇団、1940年には移動劇団・瑞穂劇団で活躍。この瑞穂劇団時代に宇野重吉の母親役を演じたのが初の老け役、この時30歳。
 1945年9月、画家・河原冬蔵と結婚。一男一女をもうけるが、一女に死なれて、後に離婚(時期は不明)。
 1947年7月、民衆芸術劇場(第一次民芸)結成に参加。その後一度解散して、1950年12月に劇団民芸(第二次民芸)として再建に参加して、終生幹部女優として活躍する。
 映画初出演は1948年3月『白い野獣』(東宝1950:成瀬巳喜男)、2作目が『破戒』(松竹1948:木下恵介)だが、封切りはこちらが先。
 以後、舞台、映画で大活躍する。

以下は以前書いたものの転記。

 きのう5月21日は、北林谷栄(きたばやし たにえ)さんの誕生日でした。91歳になりました。
 北林谷栄さんの最新作は『阿弥陀堂だより』(2002:小泉堯史)です。主演です。
 3月頃、隅田川永代橋で黒澤プロの大規模なロケ撮影があったけど上記の作品かな?
2002.05.22(水)

 北林谷栄さんの最近作は『黄泉がえり』(2003:塩田明彦)です。58年前に森で行方不明になった一人息子・勝雄(7歳)が黄泉がえって喜ぶ内藤サキ(86歳)に扮していました。
 なお、前記の永代橋でのロケは他の作品でした。
2003.05.08(木)

 北林谷栄さんが亡くなって、女優では山田五十鈴(1917.02.05~)さんが最長老かな?

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