「ニッポン城めぐり」第4弾
東京駅八重洲北口の隣、トラストタワーと鉄鋼ビルの間の通路にあり。
北町奉行所は文化3年(1806)から幕末まで、呉服橋御門内にありました。現在の呉服橋交差点の南西、東京駅日本橋口周辺に当たります。発掘された敷地北東部の溝から角を削り面取りした石が出土し、屋敷の鬼門・艮(北東)の方角を護る呪術的な意味があるといわれています。丸の内トラストシティの東側歩道に、復元された石組みの溝と解説板が設置されています。
遠山左衛門尉景元は幕末の北町奉行ですが、天保の改革に反対して僅か3年で罷免されます。その際、町人の生活や娯楽を守ったため、「金さん」の芝居が盛んに上演され人気を博しました。後に南町奉行に返り咲き7年務めますが、南北両方の町奉行を務めるのは異例のことでした。
遠山左衛門尉景元は幕末の北町奉行ですが、天保の改革に反対して僅か3年で罷免されます。その際、町人の生活や娯楽を守ったため、「金さん」の芝居が盛んに上演され人気を博しました。後に南町奉行に返り咲き7年務めますが、南北両方の町奉行を務めるのは異例のことでした。
ということです。