ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

11月17日、山口崇(2022)


 きょう11月17日は、山口崇(やまぐち たかし)さんの誕生日です。1936年生まれの86歳になりました。おめでとうございます。兵庫県三原郡阿那賀村(のちに西淡町南あわじ市)出身。所属事務所はオフィス天童。俳優・テレビ司会者・長唄三味線奏者・民話研究家。本名:山口岑芳(たかよし)。1965年に結婚した平尾桂子(女優→長唄・杵屋巳貴)との間に、長男・山口太郎(長唄唄方・杵屋巳津也)と長女・山口由紀(長唄三味線方・杵屋巳織)ともう一人、孫5人。
東京都立戸山高等学校卒業、早稲田大学教育学部英文科3年中退、同学部学生自治会委員長。
1958年、NHK東京放送劇団に入り、1960年に退団。劇団三十人会、劇団俳優小劇場、1974年には小沢昭一加藤武山谷初男らと芸能座を結成、1980年解散。
初舞台は「毒薬と令嬢」、テレビドラマはNHK「燃え立つ流れ」(1960.08.12)あたりが初出演。
映画デビューは1963.01.06『歌え若人達』(1963:木下惠介)。
1960年代後半は甘いマスクと清潔なイメージで二枚目役を次々と助演・主演。
NHK金曜時代劇「天下御免」(1971.10.08~1972.09.29)では主人公・平賀源内に扮して全国的な人気者となりました。
 山口崇さんの映画最近作は、
1967.03.11『あゝ君が愛』(1967:野村芳太郎)、
1967.04.15『若社長大奮戦』(1967:梅津明治郎)、
1967.07.19『女たちの庭』(1967:野村芳太郎)、
1967.12.30『若親分千両肌』(1967:池広一夫)、
1968.04.27『夜明けの二人』(1968:野村芳太郎)、
1969.01.11『夕月』(1969:田中康義)、
1971.07.03『「されどわれらが日々」より 別れの詩』(1971:森谷司郎)、
1972.03.29『辻が花』(1972:中村登)、
1976.08.28『不毛地帯』(1976:山本薩夫)、
1976.11.06『ふたりのイーダ』(1976:松山善三)、
1977.12.19『春男の翔んだ空』(1977:山田典吾)、
1978.07.01『雲霧仁左衛門』(1978:五社英雄)、
1978.10.14『翼は心につけて』(1978:堀川弘通)、
1981.07.21『裸の大将放浪記』(1981:山田典吾)、
1983.09.17『この子を残して』(1983:木下惠介)、
1984.11.23『想い出のアン』(1984吉田憲二)、
1985.08.06『白い町ヒロシマ』(1985:山田典吾)、
1985.10.18『泰造』(1985:渡辺範雄)、
1992.01.25 アニメ『三国志 第一部 英雄たちの夜明け』(1992:勝間田具治)、
1993.03.20 アニメ『三国志 第二部・長江燃ゆ!』(1993:勝間田具治)、
1994.04.09 アニメ『三国志 完結編 遥かなる大地』(1994:勝間田具治)、
2019.09.13『記憶にございません!』(2019:三谷幸喜)、
です。
 『「されどわれらが日々」より 別れの詩』では主人公・斉藤康子(小川知子)の婚約者であるエリート官僚・山口伸夫に扮し、
『辻が花』では主人公・遠野夕子(岩下志麻)の弟・藤岡正憲に扮し、
不毛地帯』では近畿商事繊維部員・兵頭に扮し、
『ふたりのイーダ』では相沢美智(倍賞千恵子)の同僚・広岡研二に扮し、
『春男の翔んだ空』では青年・満田に扮し、
『雲霧仁左衛門』では尾張中納言に扮し、
翼は心につけて』では鈴木亜里(石田えり)の主治医・朝倉医師に扮し、
裸の大将放浪記』では渡辺実に扮し、
『この子を残して』では主人公・永井隆(加藤剛)の息子・誠一(中林正智)の現在の姿に扮し、
『記憶にございません!』では黒田啓介(中井貴一)が小学校時代の恩師である柳友一郎に扮していました。
 『記憶にございません!』ではエンドクレジットにて名前を発見しても、何の役柄だったかすぐにはわかりませんでした。30数年ぶりの映画出演でした。


にほんブログ村ランキングに参加しています。
下記 ↓ のバナーをクリックしてください。
ブログのランキングが表示されたら、下部の「ぴくちゃあ」ロゴを再度クリックしてください。
ランキングアップに協力お願いします。

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 日本映画(邦画)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へ
にほんブログ村