ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

加藤治子さん、やすらかに、、、

 女優の加藤治子さんが11月2日午前7時7分、心不全のためお亡くなりになりました。92歳。葬儀は本人の遺志により既に家族葬で執り行われました。
 加藤治子さんはTBS系ドラマ「浅見光彦シリーズ28・高千穂伝説殺人事件 歌わない笛」(2009.10.05放送)に出演したのを最後に仕事を控えていました。3年ほど前に体調を崩し、昨年からは自宅で療養を続けていたとのことでした。

 

1922年11月24日、東京市赤坂区(現・東京都港区)生まれ。
1936年4月、松竹少女歌劇学校(4期生)に入る。
1937年3月、同上卒業。御舟京子(みふね きょうこ)の芸名で、松竹少女歌劇団に入る。同期に後の男役トップスター・小月冴子や曙ゆり、並木路子、矢口陽子(後の黒澤明夫人)、月城彰子(後の十代目・岩井半四郎夫人)など。
1939年、東宝映画に入る。『花つみ日記』(東宝映画京都1939:石田民三)にて映画デビュー。
1941年4月、慶應義塾大学の学生だった加藤道夫、芥川比呂志らが結成した「新演劇研究会」に参加。同年、新劇の初舞台を踏む。
1942年9月、芥川比呂志の召集で解散。
戦後、加藤、芥川、長岡輝子らと「麦の会」を結成。
1949年1月、文学座と合流。同年、加藤道夫と結婚。以後、芸名は現在の加藤治子となり、主演級で活躍。
1953年12月、加藤道夫と死別。
1958年、高橋昌也と再婚。
1963年1月、文学座を脱退して、福田恆存を代表に芥川、高橋、岸田今日子らと「現代演劇協会付属劇団雲」を創立。
1964年1月、TBSドラマ「七人の孫」で森繁久彌と共演し、人気者となる。
1975年、劇団雲を退団、高橋昌也とも離婚。
 最近の活躍は、TBをご覧ください。

 

 ご冥福をお祈りいたします。