ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

宮口精二と『七人の侍』

 『七人の侍』が登場したところで、H・Kさんの文章へと移る。
 「日本映画黄金期の脇役たち」が宮口精二が第1回でつぎが志村喬、そのつぎは加東大介かな。Kさんにしても黒澤明の影響から抜け出せないようで、それはそれで仕様がないか。

 宮口精二ですぐ思いだしたのは「俳優館宮口精二〈対談〉」('76・\1600・白川書院)である。記録によると79年1月に古本屋で800円で買っている。この「俳優館」は、宮口が自費で「俳優館」という季刊誌を出していて、その中の対談を抜粋してまとめたものである。何で買う気になったかと言えば、その頃はあまり映画の本はなかったし、俳優同士の対談ということで購入したのだろう。でもKさんの文を見るまでは1ページも読んでなかった。あわてて、パラパラとめくって拾い読みをした。その中でおもしろいものがあったので少し転載する。加東大介と内山恵司との対談(72年6月)である。

宮口:まる一年、足かけ二年ですものね。アメリカじゃ『七人の侍』の映画を未だにやってるんだって。この間、伜がね、ニューヨークで観たって。テレビでもやっているんだって。

加東:撮っている時は、いい加減に止めたいなんて思ってたけど、出来上ってみたらやっぱり、やっておいて良かったと思う映画(しゃしん)だね。

宮口:あれは傑作だよ、やっぱり。黒沢さんの。

加東:長かったよ。伊豆長岡の『さかなや』という旅館があってね。そこで皆支度して出て行くのよ。ちょうど四月頃だよね。そうすると観光団体が来ているわけだ、京都から。三船ちゃんもいるしさ、「これ、なんという映画です」「『七人の侍』です」「ああそう、これは観なくちゃなあ」なんて言っていた。翌年俺たちはまた支度して出て行くと、その団体がまた来ていて、「これ何という……」「『七人の侍』です」「ああ前篇を観そこなっちゃった」(笑)真面目な顔をして言われたんだよ。これはうけたね。本当にそう思うよね。(笑)

宮口:だってね。僕があれに出ている間、一年間舞台に出られないわけよ。文学座で正月に朝日新聞の厚生事業団が主催する慈善興行があるんですよ。この純益で朝日のクリニックカーというレントゲン自動車を寄附するんですよ。そのためにどうしても『女の一生』を一年に一遍やらなきゃならない。これにはどうしても僕は持役があるから出なくちゃならないでしょう。その時だけ舞台に出たっきりで、あと全部舞台を下りる。だから中村伸郎なんかね、『七人の侍』がいつ完成するかという事よりも「お前がいつぶっ倒れるか、その方が心配だよ」なんて言われたんだものね。(笑)

加東:そうだろうね。(笑)

内山:殆んど全員が缶詰になったんですか?

宮口:そう。

加東:とにかく、初めに衣装の着物を汚なくしたりするんですよね。苦労して。お終い頃はどうやってつくろうかという事だ。

宮口:衣装を新調するでしょう。そうするとパリパリの衣装なわけよ、それを百姓の衣装だとか浪人の衣装だから古びが出なきゃならないんだ。だから皆それぞれ軽石と松脂で擦って古びをつけるわけ。自分の家へ持って帰って水に漬けちゃ干したり、また水に漬けちゃ干したりしてさ、染(そめ)を古くさせなきゃならないし。それから木賃宿のセットなんていうとね、先ず皆で磨くんだよ、床を雑巾でもって。垢で汚れてる艶光りを出す……。

 とまだまだ続くが以降省略。

 私の宮口精二ベスト5は、
にごりえ』('53・今井正)、、
『張り込み』('58・野村芳太郎)、
『人間の条件・第一・二部』('59・小林正樹)、
『古都』('62・中村登)、
『光る海』('63・中平康)、

てなところか。
 なお私のベスト5は、明日になれば違うベスト5になっていることもしばしばあるので、その点はご承知願いたい。


「シネマディクト日曜版1994年7月号」の中で連載「ぴくちゃあVol.11」より
22年前の文章です。読みやすいように、原文に改行したり、一行空けたりしています。