4月1日生まれ、塩沢とき(しおざわ とき) 本名:塩沢登代治
1928年、東京市牛込区中里町生まれ。
父・理一と母・美弥生の一人娘。
父・理一は、長野県下伊那郡松尾村で大きな呉服屋の跡取り息子。家業がいやで上京、早稲田大学を卒業後、伊那電鉄に勤務。
母・美弥生は下伊那郡上郷村の出身で、一度結婚したが死別し、ふた回り年上の理一と再婚。
“登代治”の名は、理一が伊那電鉄の重役で飯田線の難工事の最中、豊橋~川路間開発にちなんだもの。
登代治が3歳の時、父は脳溢血で死去。
桃園第二尋常小学校を卒業。
1944年、渋谷実践女学校を卒業。
丸の内にある国際電機通信に勤務。
母の実家である長野県下伊那郡上郷村に疎開し、食糧営団下伊那出張所に勤務。
1947年、東宝の第2期ニューフェイス募集に応募して合格する。同期は、杉葉子、広瀬嘉子(日活移籍後は広岡三栄子)など。
1950年、『女三四郎』(渡辺プロ=東宝1950:渡辺邦男)の婦人警官役で本名のまま映画デビュー。
1954年、『うれし恥かし看板娘』(東宝1954:青柳信雄)では床屋の看板娘に扮して最初で最後(?)の主演。
1958年、舌ガンで癌研究所に入院、後に退院。
1959年、『大学のお姐ちゃん』(東宝1959:杉江敏男)から芸名を、塩沢ときにする。
1964年、「アニーよ銃をとれ」では初舞台をふむ。
1966年、母・美弥生が脳溢血で死去。
1977年、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」では、豆腐屋のおかみさん役が好評を博す。
1984年、フジテレビのバラエティ「いただきます」で、奇抜なヘアスタイルとユニークなトークが受けて、一躍人気者となる。
1985年にはヘアー大賞を受賞している。
『天晴れ一番手柄・青春銭形平次』(東宝1953.08.19公開、監督:市川崑)
青年銭形平次(大谷友右衛門=現在の中村雀右衛門)を現代劇風に描いたパロディ時代劇。八五郎役の伊藤雄之助が絶品である。
塩沢登代治は、与力・笹野新三郎(伊豆肇)の妻・お年に扮している。
塩沢登代治と伊豆肇の夫婦役は、『驟雨』(東宝1956:成瀬巳喜男)でも再現している。
2000.05.26(金)
4月1日は、塩沢ときさんの誕生日でした。74歳になりました。おめでとうございます。
いまだに現役で舞台・TVに活躍中で、東宝芸能所属の女優さんでは最高齢に近いかもしれません。
2002.04.04(木)