久しぶりに『四十八歳の抵抗』(大映東京1956:吉村公三郎)をラピュタ阿佐ヶ谷にて観る。
山村聰と雪村いづみが熱海への温泉旅行に行く待ち合わせ場所が新橋駅。川島雄三作品にも頻繁に、新橋駅が待ち合わせ場所だったり、乗り降りの駅として登場する。
なぜ、新橋駅なんだろうか?始発駅あるいは終着駅だったら東京駅のほうが便利だろうに。私なりに、その理由を考えてみた。
①東京駅は広すぎて、待ち合わせには不向き、人が少ない新橋駅だったら相手をすぐ見つけることができる。
②広すぎる東京駅で乗り降りするよりも、改札を入ってすぐ階段を上がれば東海道線のホームがある新橋駅が便利。それを当たり前のように使いこなせるのが東京人というものさ、と地方の人たちに対して優越感に浸っている。
③ロケの許可が東京駅では降りない。たとえ許可が出ても、人の交通整理が大変なため、簡単に出来る新橋駅になってしまう。
さあ、真相はどれでしょう。