ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

03月23日、犬塚弘(2008)

 きょう3月23日は、犬塚弘(いぬづか ひろし)さんの誕生日です。1929年生まれの79歳になりました。おめでとうございます。東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。本名:犬塚弘(いぬづか ひろむ)。境事務所所属。

 祖先は徳川家康と共に三河から江戸へ出てきた直参の旗本で、祖父の代まで十数代に渡って新橋に居を構える家柄。
 父・登は、三井物産ロンドン支店、カルカッタ支店勤務を経て、戦後は東京・フェヤーモントホテル支配人、軽井沢・万平ホテルに勤める。
 音楽好きの両親の影響で、兄ともども小学生の頃より音楽に関心を持つ。暁星中学を経て、1950年にお茶の水文化学院社会学部を卒業。
 品川のIBMに勤務するが、2年あまりで退社。好意的だったアメリカ人のボスがいなくなったら、いびられ、アメリカ人社員を殴ったため。
 兄や同級生らとハワイアン・バンド“グリーン・グラス・シャック・ボーイズ”を結成する。背が高いのでベースを担当、日本フィルの奏者から個人レッスンを受けたりして、バンド活動を始める。
 半年後、萩原哲晶率いる“デューク・オクテット”に移籍し、ラジオやジャズ・クラブで活動。ハナ肇植木等と出会う。
 1955年、コミック・バンド“ハナ肇キューバン・キャッツ”結成に参加。秋には“ハナ肇クレージー・キャッツ”と改称する。
 1956年にはトロンボーン谷啓、ピアノの石橋エータローが参加。
 1957年にはギター・ヴォーカルの植木等、サックスの安田伸が、加わってメンバー6人となる。
 1960年6月に石橋エータロー結核で入院したため、ピンチヒッターとしてピアノの桜井センリが加わる。
 1961年8月に石橋が復帰しても桜井センリも残り、メンバー7人となる。
 1971年に石橋がメンバーから離れたのちは6人となる。
 映画デビューは、『裸の大将』(東宝1958:堀川弘通)である。メンバーで出演したのも数多くあるが、『素敵な今晩わ』(松竹大船1965:野村芳太郎)では初主演し、『ほんだら剣法』(大映京都1965:森一生)、『ほんだら捕物帖』(大映京都1966:森一生)にも主演している。
 1981年、「越前竹人形」の演出家・木村光一との出会いが、演技者としての血が目覚める。発声練習の第一歩から始め、以降舞台での活躍がめざましい。

 『奇々怪々俺は誰だ?!』(東宝1969.09.27公開、監督:坪島孝)
 鈴木太郎(谷啓)は平凡なサラリーマンで、親子三人の団地暮らし。ある日、見知らぬ男(犬塚弘)が鈴木太郎と名乗り、会社でも家庭でも太郎の地位を奪ってしまう。自分が誰だかわからなくなって絶望のあまり自殺しようとする太郎。そこで、自分と同じように人生に絶望した若い娘・種村百合子(吉田日出子)と知り合う。自分自身を知るための旅に出る二人。
 この作品では、クレージー・キャッツのメンバーはハナ肇が患者役でゲスト出演している程度で、谷啓の単独主演に犬塚弘が脇役出演したという形である。犬塚弘はクレージーの中では映画出演歴としては、ハナ肇植木等谷啓に次ぐ4番目の位置につけている。ハナ肇が1993年に亡くなり、2007年には植木等が亡くなり、これからは犬塚弘の映画出演本数が谷啓に次いで2番目になるかもしれない。

 『大河の一滴』(「大河の一滴」製作委員会2001:神山征二郎)
 和菓子「和泉屋」の主人役で、三國連太郎扮する郵便局長・小椋伸一郎がガン宣言する集まりに近所の人たちと一緒に招かれます。おひらきになって、酒屋「日本海」の主人・樋浦勉と一緒に伸一郎のガンについて語りながら帰ります。

 犬塚弘さんの最近作は、

『風のダドゥ』(2006:中田新一)、

『転校生/さよなら あなた』(2007:大林宣彦)、

『北辰斜にさすところ』(2007:神山征二郎)、

『ポストマン』(2008:今井和久)、

です。
 『転校生/さよなら あなた』では斉藤一美(蓮佛美沙子)の祖父・孝之助に扮し、

『北辰斜にさすところ』では上田勝弥(三國連太郎)が野球部エースだった時のショートで今はスペインで余生をすごしている陽気な天本英人に扮していました。