東日本大震災から9年、
当時のブログ記事を再掲載、
「福島・仙台へ01」2011.03.29 07:04:01
深夜バス23時10分東京駅発に乗る。途中、新宿に寄り、0時に出発。2度ほど、トイレ休憩があり、6時前に仙台駅発に到着。
仙台駅はいたるところ立ち入り禁止。でも、きのうから、仙石線がほんの一部開通したので、改札付近は出入りできる。それ以前は、建物内にもはいれなかったのかな。
これから07時発の福島行きに乗り、福島市に向かうところ。
「福島・仙台へ02」2011.03.29 08:49:32
08時20分過ぎに福島に到着。
福島駅は立ち入り禁止。エスパルも営業停止。何も開いていない。
「福島・仙台へ03」2011.03.29 21:52:20
福島駅から路線バス(休日ダイヤ)にて8km離れた避難先へお見舞い。
妻の実家が福島原発の20km圏内で地震の2日後に強制避難させられ、出産里帰りの姪親子を含めて一家7人自家用車2台に分乗して、20kmよりちょっと外の小学校体育館へ。3日後、そこも危ないということで、姪の姉つまり長女が住む福島市へ移動したわけである。出産間近の末娘親子は、旦那が翌日、横浜から新潟経由で迎えに来て、旦那の実家がある新潟で出産することになった。
それにしても、4人家族の家に5人も居候して大丈夫かな、と思いながら訪問。家は一戸建てで、想像していたよりも広く、敷地も車4台を余裕で駐車でき、ちょっと安心。
それにしても、全く先の見えない避難生活、家はあっても帰れない。仕事は倒産に追い込まれそうだし、農業は廃業になりそうだし、今後どうやって生計を立てていったらいいのか。
ボヤキと怒りを聞きながら、福島を後にした。
写真の銅像は、福島出身の作曲家・古関裕而。
「福島・仙台へ04」2011.03.29 22:33:51
福島駅から高速バスにて再度仙台へ。朝は満席だったが、12時15分発のJRバスはガラガラ。仙台駅周辺の飲食店を物色するが、ほとんど営業していない。やっていても夕方まて。ガスが完全復旧していないので、やむを得ない事情か。
コンビニの食品棚はガラガラというよりも、キレイに何もない。スーパーのダイエーは衣料品や生活用品の階は自由に入れるが、地下の食品フロアは入場規制で、外に長い列。地震後の営業再開時は1~2kmの長い行列ができたそうな。
一見、建物がちゃんと建っているので、大丈夫かと思ってそばに近づくと、あちこちに亀裂が走り、部分崩落が随所に見られる。そのせいもあってか、閉めている店、ビルが圧倒的に多い。
地下鉄で台原へ。私の実家は、黒松と八乙女の中間地点。地下鉄が完全復旧しておらず、台原からはバスの振り替えシャトルバスにて八乙女下車。わが実家へ。
うーむ、これはヒドい!
「福島・仙台へ05」2011.03.29 23:01:17
実家の外壁が崩落し、内部の壁は崩れ落ち、柱の土台はガタガタになってしまっていた。
先の宮城県沖地震(1978年)でも被害を受け、部分補修でごまかしてきたが、今回はもう駄目のようだ。
82歳のオフクロは部分補修するにしても、一時的に家を離れなければならないのなら、壊して新築したほうがいい。88歳のオヤジは、家を離れることに強固に反対。鉄骨で補修すれば、家を離れなくても、なんとかできる。あと、何年生きるかわからないし、お前が帰ってくるならまだしも、新築する必要がない、という主張である。
福島も仙台も波乱含みの展開になりそうで、アタマがいたい!
今夜はこれから、また深夜バスにて東京へ。
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