ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

03月20日、雪村いづみ(2008)

 3月20日は、雪村いづみ(ゆきむら いづみ)さんの誕生日です。1937年生まれの71歳になりました。おめでとうございます。

 1937年、東京市目黒区大岡山生まれ。本名:朝比奈知子。
 父・愛三、母・千恵子。妹・愛子はロカビリー歌手となり、弟・雍三も有光洋二の芸名で歌手になった。
 幼い頃、四谷文子に童謡を習い、服部・島田バレエ団に2年間通う。
 1949年、清明学園小学校を経て川村中学に進学。通訳だった父が1946年4月に死亡し、母が東興映画を設立して記録映画数本と劇映画『三太物語』(芸苑プロ・東興映画=新東宝1951:丸山誠治)を製作するが、経営に失敗する。さらに、母が腸結核にかかったため経済的に苦しくなり、1951年に大田区立大森第十中学に転校、翌1952年に卒業する。
 1952年6月、友人宅で聞いたレコード「ビコーズ・オブ・ユー」をすぐ覚え、母の知人の紹介で新橋のダンスホール“フロリダ”のステージに立ち、1ヵ月間「ビコーズ・オブ・ユー」1曲を歌い続ける。翌7月、日劇ミュージックホール「サンマースキャンダル」に出演、東宝社長・小林一三命名で、雪村いづみと名乗る。次いで日劇「秋のおどり」にも出演し、各地の駐留軍クラブをもまわる。
 1953年4月、ビクターから「想い出のワルツ」でレコードデビュー。美空ひばり江利チエミに次ぐ少女歌手として売り出される。ひき続き、「遥かなる山の呼び声」「泪のチャペル」などのヒット曲を出す。
 映画初出演は『青春三羽烏』(松竹大船1953:野村芳太郎)での歌手としての特別出演。本格的デビューは、『娘十六ジャズ祭』(新東宝1954:井上梅次)の主演にて。井上梅次とのコンビは、『ジャズ・オンパレード1954年 東京シンデレラ娘』(新東宝1954)、『はるかなる山の呼び声』(新東宝1954、短編)、『乾杯!女学生』(新東宝1954)、『結婚期』(クレインズ・クラブ=東宝1954)、『ジャズ娘乾杯』(宝塚映画1955)、『夜霧の決闘』(宝塚映画1959)、『嵐を呼ぶ楽団』(宝塚映画1960)、『太陽を抱け』(宝塚映画1960)と9本を数える。井上梅次は、雪村いづみの育ての親と言ってもいいくらいの素晴らしい作品群を残している。
 1961年8月2日、ジャック・セラーと結婚、翌1962年3月15日に娘マリア・リサ(後の芸名・朝比奈マリア)を出産する。1966年に離婚。
 1967年1月、サックス奏者・原田忠幸とアメリカで結婚。1973年春に原田と離婚。
 1972年、日生劇場のミュージカル「アプローズ」で共演した飯野おさみと原田と離婚後、同居生活を始める。1978年10月、同居生活解消。
 絵画の腕前は二科展に何度も入選していて、個展もよく開いている。

 『嵐を呼ぶ楽団』(宝塚映画製作、東宝配給1960.02.28公開、監督:井上梅次)
 井上梅次が得意とするミュージカル映画の最高傑作。宝田明が自分のバンドを作るため、地方巡業へ出る。『七人の侍』よろしく次々とミュージシャンと出会い、高島忠夫、神戸一郎、柳沢真一、江原達怡水原弘朝丘雪路らとバンド「ブルー・スター」を結成、次々とヒットを連発、フルバンドへと成長する。
 雪村いづみは、ショーダンサー・天路ルリ子に扮して、宝田明が扮する牧宏志とは、ほんとうは好きなんだけど、会うと激しく喧嘩してしまうという関係、紆余曲折あって、ラストはハッピーエンド。

 『君も出世ができる』(東宝1964:須川栄三)に出演して、間隔があいて『人間革命』(シナノ企画東宝映像=東宝1973:舛田利雄)、『「さよなら」の女たち』(東宝映画1987:大森一樹)以来12年ぶりに映画出演しました。『笑う蛙』(2002:平山秀幸)です。
 最近作は、『そうかもしれない』(2006:保坂延彦)です。