ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

久我美子さん、やすらかに



以上、『風立ちぬ』(東京映画1954:島耕二)より


 久我美子(くが・よしこ、本名・小野田美子=おのだ・はるこ)さんが2024年6月9日、誤えん性肺炎で亡くなりました。93歳。葬儀は近親者で営まれたとのこと。

 1931年1月21日、東京市牛込区生まれ。
 久我(こが)家42代目当主で伯爵の父・通顕と母・よし江の長女で、兄と妹の三人兄妹。
 1944年4月、女子学習院初等科から中等科へ進む。本来なら1943年に進級しているはずだが、そこらへんは不明。
 1946年5月、中等科3年在学中に、東宝第1期ニューフェースへ応募。応募者4000人のうち、採用者は男性16人、女性32人。その中の一人として選ばれる。しかし、祖父が大反対して、親戚の池田家へ戸籍を移して、池田美子(はるこ)の名前で東宝入り。1947年3月、華族制度廃止により、久我(こが)姓に戻す。
 1946年7月、女子学習院を中退して、東宝演技研究所に入る。
 1946年10月、3ヵ月の養成期間を経て、東宝専属となる。芸名は、久我美子(くが・よしこ)。同期に、岸旗江、若山セツ子、伊豆肇、三船敏郎堺左千夫、堀雄二、野上千鶴子、相原巨典、など。
1947.03.11『四つの恋の物語・第1話/初恋』(東宝1947:豊田四郎)で映画デビュー。
1948.04.28『酔いどれ天使』(東宝1948:黒澤明)
1949.07.11『ジャコ万と鉄』(東宝1949:谷口千吉)
1950.03.21『また逢う日まで』(東宝1950:今井正)
1950.10.21『雪夫人絵図』(新東宝1950:溝口健二)
 1951年4月、大映専属となる。
1951.05.23『白痴』(松竹大船1951:黒澤明)
1951.08.10『牝犬』(大映東京1951:木村恵吾)
1952.12.23『あの手この手』(大映京都1952:市川崑)
1953.08.19『あにいもうと』(大映東京1953:成瀬巳喜男)
1953.11.23『にごりえ 第二話・大つごもり』(松竹1953:今井正)
1953.12.13『恋文』(新東宝1953:田中絹代)
 1954年1月、大映を辞め、以後フリーとなる。
1954.03.16『女の園』(松竹大船1954:木下惠介)
 1954年4月、株式会社「文芸プロダクションにんじんくらぶ」(代表取締役・若槻繁)発足、岸惠子の誘いで久我美子有馬稲子が加入。
 1954年度、第9回毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。対象作品は、『女の園』(木下惠介)、『この広い空のどこかに』(小林正樹)、『悪の愉しさ』(千葉泰樹)、『億万長者』(市川崑)。
 1956年度、ブルーリボン女優助演賞を受賞。対象作品は、『夕やけ雲』(木下惠介)、『女囚と共に』(久松静児)、『太陽とバラ』(木下惠介)。
 1962年10月9日、『大坂城物語』(1961:稲垣浩)で共演した平田昭彦と、稲垣浩夫妻の媒酌で結婚。
 1984年7月25日、夫・平田昭彦が、ガン性リンパ管症のため死去、56歳。
2000.04.29『川の流れのように』(東宝2000:秋元康)が遺作となってしまいました。

 私にとって、久我美子さんは3番目に好きな女優なので、私のベスト5を列記しておきます。
また逢う日まで』(1950:今井正)
『挽歌』(1957:五所平之助)
『美わしき歳月』(1955:小林正樹)
四つの恋の物語・第1話/初恋』(1947:豊田四郎)
女の園』(1954:木下惠介)
久我美子出演作100本のうち58本見ています。

ご冥福をお祈りいたします。

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