ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

『わが映画人生 マキノ雅裕監督』(日本映画監督協会2002)

 『わが映画人生 マキノ雅裕監督』(日本映画監督協会2002)を、国立映画アーカイブ(NFAJ)長瀬記念ホール OZUにて見る。「逝ける映画人を偲んで 2021-2022」特集の1本。310円。

わが映画人生 マキノ雅裕監督(113分・DCP・カラー)
2002(日本映画監督協会)(インタビュアー)澤井信一郎 (構成)奥中惇夫 (出)マキノ雅裕
追悼:(インタビュアー)澤井信一郎
 日本映画監督協会製作の「わが映画人生」シリーズの一本。長いあいだ「先生」のもとで助監督を務めていた澤井信一郎(1938~2021)が聞き手となり、「ヒット作の系譜」(澤井)とも言うべき261作品を手がけた稀有な監督・マキノ雅裕(マキノ雅弘)(1908~1993)から、貴重な証言の数々を引き出している。1988年10月27日撮影。
(以上、国立映画アーカイブの解説より)

 マキノ雅裕は1908年2月29日生まれだから80歳の時のインタビュー映像。時々思い出せない固有名詞で言いよどんだりしてはいたが、まだまだ元気だった様子。
 デビュー作『青い眼の人形』(1926)には相当思い入れがあるようだ。本人のシナリオで、富沢進郎が監督する予定だったのが、富沢が病気となり、父親・牧野省三に「おまえが撮れ」ということで監督デビュー。ただし、「できがよかったら監督は富沢の名前、悪かったらおまえの名前」という父親の厳命。
 出来上がって、試写では、まともに画面を見れず、父親の顔ばかりチラチラ見ていた。終わったら「監督は富沢の名前で」ということで合格。
 神戸あたりを舞台にしたギャングもの、ということでハイカラさが受けたのかもと。
 と、次から次としゃべり続けていた。
2023年7月22日(土)鑑賞

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