ぴくちゃあ通信

日本映画をメインにしたブログです。東宝映画を中心に古い作品から新しい作品まで、時には俳優を中心に話を展開します。

『映画を語る 東映大泉篇・II』(日本映画監督協会2003)



 『映画を語る 東映大泉篇・II』(日本映画監督協会2003)を、国立映画アーカイブ(NFAJ)長瀬記念ホール OZUにて見る。「逝ける映画人を偲んで 2021-2022」特集の1本。310円。

映画を語る 東映大泉篇・II(118分・DCP・カラー)
追悼:(出演)小平裕、(司会)澤井信一郎
(構成)仲倉重郎(出)伊藤俊也梶間俊一、小松範任
 「わが映画人生」シリーズの特別版として、1959~70年に東映東京撮影所に入った5名による、助監督時代についての座談会を収録。師事した監督たちの思い出から、作家性への矜持や撮影所合理化の余波などについて、仲間として率直に語り合う。
(以上、国立映画アーカイブの解説より)

 初見。
 小松範任(こまつ のりひで)、1936年4月8日生まれ、香川県高松市出身。1959年早稲田大学仏文科を卒業し、東映東京撮影所に助監督として入社。1965年8月に合理化で大量解雇。組合活動を行っていたため、製作現場から関係のない部署に配置転換。佐伯孚治、植田泰治らも一緒。7ヶ所ぐらいの部署を異動させられ、PR.CM制作を経て、フジテレビ「009ノ1 第1話・(仮題・日本列島大爆破作戦)→日本爆破アンタッチャブル」(1969.10.07)にて監督デビュー。その後、「刑事くん」「キイハンター」「アイフル大作戦」「バーディ大作戦」「Gメン75」「火曜サスペンス」「土曜ワイド劇場」などを監督。
2018年2月22日午後5時12分、東京都内の病院で死去、81歳。

 今回、初めて知る人と思っていたら、賞を獲ったPR映画を見ていた。たった4年前だというのに、恥じ入る、、、。

hati8823.hatenablog.com

 伊藤俊也(いとう しゅんや)、1937年2月17日生まれ。福井県福井市出身。県立乾徳高等学校(現在は県立福井商業高等学校)を経て、東京大学文学部卒業。1960年、東映東京撮影所に助監督として入社。

 澤井信一郎(さわい しんいちろう)、1938年8月16日生まれ。1961年東京外国語大学ドイツ語科を卒業し、東映東京撮影所に助監督として入社。
2021年9月3日19時05分、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去。

 小平裕(こひら ゆたか)、1938年10月31日生まれ。東京府東京市(現:東京都新宿区)出身。東京都立新宿高等学校を経て東京大学文学部美学科を卒業。1961年、東映東京撮影所に助監督として入社。
 2021年8月12日、誤嚥性肺炎にて東京都内の病院で死去。

 梶間俊一(かじま しゅんいち)、1944年1月2日生まれ。茨城県出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て1970年1月に東映の契約助監督として入社。

 5人の中では、梶間俊一が一番しゃべっていた。梶間の最初の現場が『血染の代紋』(1970:深作欣二)。最も印象に残っているのが『仁義の墓場』(1975:深作欣二)。小平裕がチーフで梶間がセカンド。
 『女囚701号 さそり』(1972:伊藤俊也)では小平裕がチーフで梶間俊一がサード(?)。
とまあ、いろいろ興味深い話が聞くことができて、大満足。
2023年8月18日(金)鑑賞


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